ライムグリーンの気持ちwith YAMAHA BLUE

バイク、デジもの、ゲーム(レトロ気味)、その他諸々の趣味と買い物と遊びとつぶやきを綴ります。


こんな本と出会った。

みなさんはどんな生活をしているでしょうか。
今、人生のどの辺りにいるでしょうか。

私は三十路街道を間もなく完走する不惑まぎわのオンナです。

幼少期から今まで、人生で躓くたびに、なぜ自分はこうも生きにくいのだと問い続けてきました。

人は様々に、生まれ育った環境に影響を受けて育ちます。

家族、学校、職場。

純粋であった子供時代から、様々に価値観や規範を刷り込まれて成長していきますね。
私も同じです。

純粋であろうとすればするほど、環境には潰されてきたのではないでしょうか。
この社会で純粋であり続けることは、世間と常に衝突し、そして敗者となることを意味する事がほとんどです。

敗者となるな、勝者でいろ、その為にはお前は世間に愛されなければならない。
お前が世間に従順でありさえすれば、世間はお前を愛するだろう。

そういう脅迫の中で、人は生きていると思うことがあります。

純粋でいることが悪とされる世間では、生きにくい。
また純粋であることを利用する組織に回収されることは、ナチスアイヒマンとなる可能性を誰もが持っている。

私は人生の中で、こんな風に考えながら、生きて来ました。
生きにくいです。
「当たり前」とされるレールに乗れないのですから。
「当たり前」とは、私より先に生まれ力を持った「強者の都合」です。
そんな他者の都合で、個性をすり減らされ削り取られて、人は生きている。

そんなことに気づくこともなく、生きている。

私は無知でいることに気づきました。
自分への興味を失っていることに気づきました。
「当たり前=強者の都合」に迎合するために、忘れたのでしょう。
社会から、世間から取り残されることにビビりながら。

そして気付けば大流血で瀕死の、虫の息でした。
心から血を流したまま、手当もせず防御もせず丸腰で。

この本は、自分の心の傷に気付くための本だと思いました。
そして傷に気付いた後、どうすべきかを、そのアイデアを書き記してくれた女性が書いた本であると。

気付いてしまった以上、無かったことにはどうあがいても出来ませんでした。
この本は、そんな私にある女性が教えてくれたバンドエイドです。